母とバニラエッセンス

専業主婦の母は、主婦の中でもよくキッチンに立っていた方ではないかと思う。決してせかせかと働くタイプでも 部屋をピカピカに保つ人でもなかった(むしろ父より私より物を散らかしていた)ように思うけど、生活においてとても細やかな感性を持っている人だ。

 

たとえば私は必要にかられてじゃなく 料理をするのが好きだ。わけもなく深夜に何かを寝かせたり、思い立ったみたいにパンケーキを焼いたり、たまにしてしまう。思えばおそらくそれは母の影響だ。

母が作ってくれた、幸福の象徴みたいなものの数々を思い出す。小学生の頃 帰ってきたらパンを焼いていたのはしょっちゅうだったし、ある秋1階から呼ばれてリビングに降りれば ホカホカのカボチャのパイが出来上がっていたこともあった。温かい帆立の雑炊(その立ち上る匂いの温度以上のあたたかさはちょっと形容しがたい)を作って起こしてくれた朝もあったし、春にはいちご大福を、たぶん今でも時々作っていると思う。フレンチトーストには美味しいジャムを添えてくれた。

母がそういう、必要にかられて作る食事とはまた別の、何か幸福めいたものを作っているときの姿、出来上がったものを出してくれるときのニコニコとしか表現できない笑顔が私は好きだった。母のそんな風なところをもってして、家の中がやわらかく温められた日がいくつもあったと思う。

 

バニラエッセンス。

母の手によってその茶色い小瓶が振り下ろされると、子どもの私はほぼ条件反射的に幸福になったものだった。良いにおい、とつぶやくと「バニラエッセンスよ」と教えてくれた。けれどキッチンを包む甘い香りの正体を知ってからもなお、それは母の力の成すテクニックのようなものなんじゃないか、という気がいつもどうしてもしていた。

その香り、名前のわりに不愛想な瓶の感じ、たまにしか登場しないレア感。私はバニラエッセンスそれ自体のこともかなり気に入っていた。冷蔵庫を開けた時 ちらりと姿が見えればふふ、と思ったし、舐めるとあの甘い香りからは想像もつかないような味がした時も、私はよりそれを好きになった。幼心に、香りのまんまでないことが かえってあの液体に説得力のようなものを持たせている気がしたのだ。

 

それから私も数えきれないくらいあの小瓶を振り下ろしたと思う。数々のバレンタインや 幸福な休日の午後を経て。だけど一人で暮らすこの家にそれがあるのを見ると、私はどうしても首をかしげてしまう。不思議だという気持ちでいっぱいになる。おそらく私にとってバニラエッセンスは 今でもどこか遠巻きに眺めるもののような対象で、いくつになっても 母だけが使える魔法なのだ。

 

ドアポケットでケチャップたちに押しやられた小瓶と久しぶりに目が合って、そんなことを思い出した。(そういえばあれはいつ買ったものかしら。)