日記(20.10.14)

 少しずつ寒くなってきてうれしい。私は冬が好きだ。寒さがつくる単純な幸福みたいなものが、冬の生活の中にはいくつもあるから。毛布にくるまること、温かな飲み物を飲むこと、煮込み料理を作ること、贈り物をすること。(冬は四季の中でいちばん贈り物が似合う季節だと思う。) 寒いせいか、人々が寄り添って生きている感じも少しある。そういう単純で根源的な幸福を、私はかなり信用している。冬はそれを素直に感じやすい季節だと思う。

 今日は休日だったが、予定が詰まっていたのでやや忙しかった。そして、朝からものすごく嫌なことがあった。腹立たしく、悲しかったし、疲弊もした。

 それは化粧下地を顔に広げている最中にかかってきた電話でのことで、それだから私は、その後泣きながら身支度をしなければならなかった。少し泣いてはメイクが落ち、直してはまた涙が出て、の繰り返しで、危うく遅刻してしまうところだった。良い涙にしろそうでないにしろ、生きていたら泣くことくらいはしばしばあるが、こんな風に涙が出たのは久しぶりだった。私は自分がまだ13歳の頃と同じような泣き方ができることを、ちょっと面白いと思った。

 英語の詩集が欲しい、と1ヶ月ほど前に思い立ったのだけれど、未だに良いものが見つかっていない。何がきっかけでそう思ったのかは忘れてしまったが、未知の言語の響きに触れながら、それを丁寧に訳してみたいと思った。洋書か、そうでなければ対訳の、と思っていたが、どちらも適当なものが見つからなかった。元々海外の作家に明るいわけでも、英語力があるわけでもないので、チョイスが難しいのだった。

 今これを書きながら思ったのだけれど、絵本を買ってみても良いかもしれない。絵本なら、好きな作家が何人かいるし、洋書も比較的手に入りやすい。

 最近は気ままに英語を勉強している。喋れるようになりたいとか、長文をスラスラ読めるようになりたいとか、目標らしい目標が浮かばないわけではないが、あくまでも趣味としての言語学習にハマっている。何の到達点も目指さずに勉強するのは楽しい。

 学生の頃から英語は好きだったが、eatとhaveの使い分け、みたいなことに対してばかり興味を持つタイプだったので、成績には大きくは繋がらなかった。eatとhave。両者の使い分けを知ったとき、心底うっとりしたものだった。食べ物を摂取することを意味する語と、食事の時間を持つことを意味する語とで、「食べる」に二通りの表現があるだなんて。日本語についての本を読んだり、辞書を引くのにハマった時期もあったけど、思えばどちらにも共通の感動があった。本質的には同じことだと、今ならわかる。私は英語が好きだったのではなくて、言語に触れるという行為そのものが好きだったのだ。

 ここ何日かは、短い日記を書くときに英語で書いてみたりしている。そもそもの英語力が中学生か、もしかするとそれ以下レベルなので、まだかなり稚拙な文章しか書けないのだが、それでも楽しい。

 たとえば今朝の疲弊も日記に書いた。英語は、率直にものを述べるのに適した言語だと思う。