あこがれ

 

その昔、私の二段ベッドへのあこがれは強烈だった。

 

それは大抵の姉妹・兄弟のいる家にあって、私は見るたび舞い上がった。古くても新しくても、白い木でも茶色い木でも関係なく。わくわくして、どきどきして、しまいにはうっとりしていた。どの家でも、上の子が上段、下の子が下段であることも興味深かった。

近所の友だちにはみんな姉やら弟やらがいたので、一人っ子の私はたびたび羨ましがられたけど、私には断然、たとえばおもちゃやお菓子を独占できることよりもずっと、二段ベッドで眠れることの方が贅沢に思えた。

 

なんて面白い、特別な寝具だろうかと思う。

たとえば物語のワンシーンでは、きょうだいたちは夜になると上下に寝ながら会話した。素晴らしいのはベッドが上下であることだ。真っ暗やみの中、互いに顔の見えない位置から会話するなんて、子どもの私には十分に心のおどることだった。(お話の中でそういうシーンのほとんどは喧嘩に発展していたけど、それにしたって、顔を見ずに喧嘩できるのは画期的だと思った。)

何より、夜中に目が覚めても上か下かに誰かがいるのは安心だろうなと想像した。一人っ子とはいえ常に一人で寝ていたわけではなかったけど、大人たちから離された部屋で 共に眠るのが同じ子どもなら、それはある意味 大人と眠るよりも心強そうに思えた。


家具のカタログ(好きでよく眺めていた)をめくっても 二段ベッドほどに胸の高鳴る家具はなかった。天蓋付きのお姫さまベッドはもちろん魅力的だったけど、それは異国のお城に対して感じるような非日常的な魅力であって、二段ベッドが秘める実質的なときめきとは種類が違っていた。実質的というのは、きわめて実用的で、必要があってそこにいるということ。

だからもしもあの頃だれかにそれを買ってあげようなどと言われても、きっと要らないと(大いにはしゃいだ末に)言った気がする。なにしろ、何をどう足掻いても私は一人っ子だった。二段ベッドはその機能を必要にされてそこにいるから良いのだ。兄弟や姉妹のいる家に、本人たちの意思とは無関係にあるからこそ、可笑しく素敵だったのだと思う。

 

あんなにも実用的かつ愉快な家具は、他にちょっと思い浮かばない。