11月30日をもちまして

去年の暮れ、近所の喫茶店が閉店した。

何のコンセプトも感じられない極めて標準的な店内、インテリアもBGMもメニューも価格も全てが可もなく不可もない、けれども(おそらく冷凍か何かの)カツサンドはけっこう美味しい、土曜日が定休の近所の喫茶店

 

11月30日をもちまして閉店いたしました。今までありがとうございました。

シャッターには、この極めて簡素な文章がちょうど収まるほどのささやかな張り紙がしてあるだけだった。近付かないと読めないほどのごく小さな文字で。

もう1ヶ月続ければちょうど年末でキリもいいのに それが困難なほど経営が立ち行かなくなっていたということだろうか。でも決して年末を待ったりせず、そしてとくに大々的な事前告知をするでもなくひっそりと閉店してしまったところは、あの店らしいといえばらしかった。

 

いつも何かをわきまえるかのように佇んでいたあの店に、常連客はいたんだろうかと考える。毎日店の前を通るけど立地のわりに若い人が入るのはほとんど見たことがない。サラリーマンのおじさんや作業しているおばさん、あとは待ち合わせに寄るおじいちゃんなどが主な客だったように思う。

店員さんもほとんどがおじいちゃんかおばあちゃんだった。必要最低限の会話しかせず、また必要以上に笑ったりもしない、お世辞にも愛想がいいとは言えない接客。そんな調子なので もしかしたら常連さんにもそれらしい対応をしていなかっただけかもしれない。 


けれど少なくとも 私はあの店に親しみを感じていた。

昼間シャッターが下りているのを見れば休日を感じたし、日暮れ店じまいをしているおばあちゃんを見ればどこか安心して家路についたものだった。街の一部としてごく自然に、安定してその店はいつでもそこにいた。

お客さんの質によって いつでも雰囲気が変えられてしまうのではないかと思うくらい固有の雰囲気というものを持たない店だったけど、その無色透明さこそが あの店の魅力だったのかもしれない。わかりやすいコンセプトも無く だけどいつも一定でいられるというのは、よくよく考えればすごいことだ。

 

このあいだ何の気なしに店の名前を調べたらなんと15年前からやっていたらしかった。そうであれば、どちらもたかだか数年の間にできた両隣のイタリアンやオシャレ居酒屋なんかに萎縮せずに もっと堂々と建っていてもよかったのに。

微妙に照明が足りない店内、いつ行ってもまばらな客席、無愛想な店員さんたち。みんなの日々の片隅で細々と愛されていた、かもしれないあの店を、たぶん私はこの先もときどき思い出す。