昨日から今日にかけての雑記

 

家出

昨日、なんとなく寂しい気持ちになって夕方ごろ家を飛び出した。

べつに飛び出さなくたって私の家には私を引き止める人など誰もいないのだけど、ぐずぐずしていると私が私を引き止めかねない(引き止めて家にこもってもあんまり良いことはない)から とにかく外へ出るのが肝心だった。

ああいう時の、誰にも会いたくないわけじゃないけど 誰にも声をかける気になれない、というようなあの心持ちを、過ぎてみていつも拗ねた子どもみたいだなあと思う。

 

本屋さんを本屋と呼べない 

とりあえず歩いた。

本当は海へ行きたかった。それはもうかなり行きたかったのだけど、着く頃には暗くなるだろう時間だったのでしぶしぶ諦めた。

こういう時、自分が武道かなにかを心得ていたらな〜と軽々考えたりする。

 

結局いつもの本屋さんに流れ着いた。

(服屋さんとも八百屋さんとも言わないのに、本屋さんを本屋と呼べないのはどうしてだろう。)

 

思えば祖母は上手だった

思い返せば毎回の流れだった。こういう時の私はまず自然に触れようとして、でもおおかたは時間なり天候なりの理由でキャンセルされ、次に珈琲を飲みに行こうとする。

のだけど、この家出衝動は大抵18時以降に訪れるものであり、となれば好きなお店はどこもかしこも閉まっていて、そうすると遅くまで開いている大型書店くらいしか行くあてがないのだ。

たとえば誰かと暮らして家出しても 私の居場所はすぐに特定されてしまうだろうと思う。夫婦喧嘩をしたあとの祖母は行方をくらますのが上手だったことを思い出した。

 

 又吉さんはすごい

とくにそう決めて入ったわけではなかったけど、なんとなくお決まりのコースを歩くのはやめにした。

「いつもとりあえず見る棚」などには最初から向かわず、とにかく片っ端から練り歩いて気になるタイトルに手を伸ばそうという作戦だった。

 

そしたらまあ、出会うこと出会うこと。

知らない人のすばらしい詩集、ピリッと楽しい短編集、見るからに豊かな童話集、友達みたいな本や、先生みたいな本とも知り合えた。とにかく出会いに恵まれた1日だった。

ところで私は そこで改めて帯の力を思い知った。だってたまたま手に取った本の帯に好きな作家さんの感想がでかでかと書かれていて、運命を感じずにいられるだろうか。あと、たぶん又吉さんは様々な本の売り上げにかなり貢献している。

 

それに比べると夏祭り帰りの疲労は幸福を越えている

そうして本棚とにらめっこしていたのはたぶん1時間ほどだったけど、本屋を出たとき一日中走り回ったんじゃないかというほど身体が疲れていたので驚いた。(遊園地の帰りみたいに完璧な疲労だった。)

それほど神経を張り巡らせて本を探していたのかもしれない。

 

気が済んだどころか大満足したところで、6月4日の家出は無事終了となった。

 

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午前5時色の

かなり早い時間に目が覚めた。

以前から 午前5時色だ、と勝手に思っているマニキュアがあるのだけど、そういえば今日はじめて本当の明け方に塗った。

 

 切り取る窓

午後、することがなかったので 行ってみたいと思っていた近所のカフェに出かけた。平日だからか席はほとんど空いていて、陽のさす窓際の席に座ることができた。

窓からは見慣れた通りが見下ろせた。

ぼんやり眺めていると、俯瞰した視点から自分の日常を捉えているみたいな不思議な気持ちになった。当たり前だけどその時私はカフェにいて、通りを歩いてなんかいないのに。

 

窓は日常を切り取ると思う。

空もお店も人もトラックも、日々目に触れているものであるはずなのに、見知ったものの鮮度も窓は見事に高めてしまう。

窓枠には額縁的役割があるのかな、などとぼんやり思った。

 

茶店のカレー

そういえばそのお店にはカレーもあった。
いつからか、カレーを出している喫茶店のアイスコーヒーに大変な信頼を置いている。

コーヒーのこともカレーのこともさほど詳しくないけど、この信頼に裏切られたことは今のところないので なんとなくずっと信頼している。

今日も無事裏切られなかった。

 

 "おやつ" !

ところで、おやつという言葉のことを思う。

たぶん私はこの言葉が好き。おやつ。温かで守られた午後の匂いがする。ひらがなであるのもまたいい。

意外と共感してもらえないけど、おやつとお菓子はぜんぜん違う。お菓子に比べて、おやつにはもっと概念めいた響きがあると思う。食卓が、単なるダイニングテーブルじゃないのと同じように。

 

共通するのは時間だ、と思い至ったのは これを考えていたのが平日のカフェだったからかもしれない。

おやつという言葉は、なんというかその時間全てを内包している気がする。そこに用意されているのがケーキなのか羊羹なのか駄菓子なのかはもはや問題ではなく、それを囲む、その時間の流れごとをたぶんおやつは指している。

 

発見

そういえばノルウェーには「パンの上に乗せるもの」を指した"Pålegg(ポーレッグ)"という言葉があると本で読んだ。ジャムでもハムでもトマトでも、パンに乗せるとなれば とにかくそれらはポーレッグらしい。

この言葉を知ったとき あまりの寛大さに笑ってしまったけど、思えばおやつも相当に寛大で大雑把な言葉だなと思う。

 

言葉は面白い。向き合うと発見があって。

おやつは名詞なのかな。